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イギリス1957年〜'60年代 * ”メリーソート社 * MerryThought ” * ビンテージ・テディベア * 布タグつき * 50cm【 A-1943 】

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【 イギリス1957年〜'60年代 * ”メリーソート社 * MerryThought ” * ビンテージ・テディベア * 布タグつき 】

体長50cm、フル・ジョイント、左足ポーに布タグつき

大変久々のビンテージのメリソ・ベアッ!!
超・超・超レアッ&超・超キュートッ☆☆
いかにもイギリスの ”メリーソート社” らしいお顔つきをしているビンテージ・ベアが
と〜っても久々にご来店してくれましたっ!!
世界にたったの一体っきりの長い年月が時間をかけて作り出した一体ですよ〜〜っっ!!
左足ポーには布タグが残っておりますヨッ!!
チーキーで有名な大人気イギリスのテディベア・メーカー、”メリーソート社(MerryThought)” ですが、
「チーキーだけじゃないのよっ!!」と頑張って訴えております〜〜
前面と背面のお色が違っているのは、イギリスかどこかで長い間、ずっと座った状態で飾られていたからでしょう、
背面には当時の状態のゴールド・モヘアのキレイなお色が残っております〜〜


全身、オレンジがかった明るいゴールドのカーリー・モヘア製です。
イギリスの ”メリーソート社” らしいグッとマズルが突き出した立体的なお顔をしていて
クリンと丸まったカップ型の大きなお耳がつき、アンバーと黒のグラス・アイズで、
四画の両端が下に伸びたデザインのお鼻と、逆Y字の形のお口とお爪は黒い糸による手刺繍で、
まさに「子供が悲しい時には側にいて一緒に悲しみ、嬉しい時は一緒に喜んでくれる」よう、
子供が自分の感情を映し出しやすいような表情に仕上がっておりますヨッ!!


もちろんフル・ジョイントです。
手足パッドはダーク・ブラウンのウール・フェルト張りで、
左足ポーには布タグが残っています。(※写真7、8枚目)
全身にはパンヤまたは綿が詰まっております。

※お胸と脚にいくつかモヘアが薄くなっているところがございますので、ご確認ください(※写真9、10枚目参照)。
あとご覧のように、長い年月によって全体が淡いゴールド・モヘアになっておりますが、
背面全体にキレイなゴールド・モヘアが残っており、当時のお色が分かります(※写真5枚目参照)ので、ご確認ください。
たぶん、長い年月、動かさずに、座った状態で飾られていたと思われます(笑)。
そういったことも含めて可愛がっていただける方へよろしくお願い致しますっっ!!


※空を駆け、海を越え、山を越え、川を下り、街中を抜け、はるばるのご縁で辿りついてくれた、
ビンテージでございますっ!!長い年月が一体一体のお顔を個性的なものに変えていて、
ココにしかいない「オンリー・ワン」な存在となっておりますっ♪♪
まさにそこには魂が宿っていることを実感させてくれる存在ですっ!!
これからも人の手から手へ受け継がれていくべき貴重な逸品でございますっっ☆☆




☆。*イギリスのメリーソート社(MerryThought)はチーキーだけじゃないっ!*。☆
現在、ドイツのシュタイフ社と並んで、最も人気があり、最も評価が高いテディベア・メーカーが、イギリスのメリーソート社(MerryThought)です。ご存知、メリーソート社独自の「犬顔ベア」として名高い「チーキー」ちゃんでお馴染みですねっっ!!しかしメリーソート社はチーキーだけではないのですっ!!今なお現存するメリーソート社の貴重なテディ達は、世界中のテディベア・ファン達から熱い視線を集めております。
※専門書に掲載されていた、メリーソート社テディベアと、その布ラベルの種類。今回、紹介しているビンテージ・ベアは1957〜'91年製の布ラベルをつけているので、この期間に作られたことが推測されます。
メリーソートの名前の由来は、幸運を呼ぶものとして珍重されていた「ウィッシュ・ボーン(鳥の腕にある二又の骨)」を意味するイギリスの古語です。

【 メリーソート社の歴史 】
1919年、W. G. ホームズ氏とG. H. ラクストン氏が、イギリス、ヨークシャー州キースリー近郊のオウクワースで、小さな紡績工場を開設し、トルコや南アフリカなどの国々から輸入したモヘアの原毛を紡ぎました。
1920年、ハッダーズフィールドにあるモヘアの織物会社、ディソン・ホール・アンド・カンパニー・リミテッドを買い取りました。
1930年、製造したフラシ店織物を市場に送り出すためにぬいぐるみ工場、メリーソート・リミテッドを設立し、商標を登録しました。チャドバレー社から、C. J. レンドル氏を製造部長として引き抜き、J. K. ファーネル社からはH. G. ジャニシュ氏をロンドン・ショールームの販売部長として引き抜きました。
1931年、最初のカタログをチャドバレー社から来たフローレンス・アトウッド氏のデザインで制作しました。耳が不自由だった彼女はマンチェスターの聾唖学校で技能を見につけた後、1930年から亡くなる1949年までチーフ・デザイナーとして勤務しました。自分で編み出したデザインでベアを制作する一方、芸術家の作品をベアとして再現することもしました。
1932年、電動ミシンを導入し、従業員を増やしました。
1935年、工場を拡張し、イギリスでナンバーワンのぬいぐるみ工場となりました。
1939年、フローレンス・アトウッド氏のデザインで最初のパンダ・ベアを製造しました。その中にはロンドン動物園から撮影用に特注されたものも含まれていました。そして第二次世界大戦が始まり、英国海軍と航空機製造局が地図の製造と倉庫用に工場を接収したため、ウェリントンに移転します。
1940〜'43年、戦時労働に転換させられ、軍と病院用の布製品を製造することになりました。
1946年、アイアンブリッジで、おもちゃ製造を再び始めますが、セバーン川の氾濫により、戦前の見本や控えの商品のほとんどを失ってしまいます。
1949年、創業者の息子であるB. T. ホームズ氏が入社します。
1952年、ディーンズ社のジミー・マシューズ氏を販売代理人としました。
1953年、デザイナーのジーン・バーバーが参加し、同年10月に、後に爆発的な人気者となる「チーキー」を創作しました。
1955年、アメリカ製の空圧式詰め物機を導入しました。
1967年、デザイナーのジャッキー・ハーパー氏が参加しました。
1970年、デザイナーのジャクリーン・レヴィット氏が参加しました。1977年に一度退社しますが1983年に再入社します。
1972年、創業者の孫であるオリヴァー・ホームズ氏が参加しました。
1982年、ニューヨークのボールドウィンにあるタイドライダー社と提携してアメリカ向けの新コレクラーシリーズを輸出するようになりました。
1986年、ジョン・アックス氏の書いた社史「メリーソートの奇跡」をホビー・ハウス・プレスが出版しました。また最初のレプリカ、「マグネット・ベア」を製造しました。
1988年、メリーソート社の専門店と博物館ができました。
1990年、60周年を記念した特別なベア、「ダイアモンド・ジジュビリー」を製造しました。
1992年、キャラクター・ベアの「マスター・ミスチフ」でトビー賞を受け、メリーソート社の高品質な製品が世界に一気に認められるようになりました。

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